僕が求めた強さは「鋼」。
僕は自分が大嫌いだった。弱くてクソ雑魚で何もできなくて何もしたくなくて醜い自分が嫌いだった。
弱いものが強いものに憧れるのは当然じゃないですか。
憧れないってあなた。そりゃあなたが強いからですよ。
自分語りで申し訳ないけど、鋼の強さを求めて僕は頑張った。
弱い自分を殺した。感受性が強く、何にでも心を動かしていた僕はそれを弱さだと思い殺した。
感動ものの映画で泣かなかったことはない。
強さを求めて、吐きたくなりそうでも、頭痛がしても無理やり前に進んだ。
僕の心は摩耗し不感症になった。
共感の鬼だった僕は何にも共感ができなくなった。
それが強くなるってことだと思った。僕の心のアンテナは完全に折れて何も受信しなくなった。
僕は満足だった。強くなったと思った。
何にも心を動かされなくなり、上りも下がりもしない精神を手に入れた。
最近、違う強さもあったのではないかと思うようになった。
自分の弱さを受け入れそれでも前に進む、下がってもいい、それでも進む強さもあったのではないかと。
自己否定の先の強さが果たして本当の強さなのだろうか?
僕は幸せを感じないが不幸せも感じない。
何も感じないことが幸せだと認識している。
強くなってそれがなんだっていうんでしょう。
弱くて何がいけないんでしょうか?
まぁどうでもいいことですね。
今わかっていることは、あの頃の僕はもういないということと、前に進むしかないということだけです。
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